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しんやのしちょう
深夜の市長
海野 十三
「新青年」博文館、1936(昭和11)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 109,982 字 · 220 页
「あーら……」と彼女は口のところへ、革手袋を嵌めた手を持っていったが、急に気づいて、僕の身体を押しのけた。
「もう雷門! そこで左へ曲るんですわ。あたしの家、吉野町なんですわ」
「へえ、吉野町かい。……」
吉野町なら、僕の家も同じ吉野町だ。僕はなんだか恐くなってきた。
「この辺でいいわ。……」
車を降りた彼女は、ドンドン先に立って、僕の家の方へ行った。すこし呆れながらついてゆくと、マスミはとうとう僕の家の路地へスタスタと入っていった。
「ここがあたくしの家なんです。どうも遠方まで送っていただいてすみませんでしたわネ。では、分りましたら、どうか知らせに来て下さいましネ」
そういって彼女は、僕の家の隣家の戸を開いた。そしてスーッと中に入ると、鮮やかな投げキッスを僕に送るなり、雨戸をピシャリと閉めた。
「……なんのことだ。あれが隣家へ越して来た女だったのか……」
偶然か、それとも故意か! こんな偶然て、あり得るだろうか。僕は説明することの出来ないような困惑に囚われた。そして隣家に住むマスミに気取られぬよう、跫音を忍んで、その隣りの、わが家の雨戸の前に立ったのである。