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がん
雁
壱、弐、参「スバル 第三年九号」1911(明治44)年9月、肆、伍「スバル 第三年十号」1911(明治44)年10月、陸、漆「スバル 第三年十一号」1911(明治44)年11月、捌、玖「スバル 第三年十二号」1911(明治44)年12月、拾、拾壱「スバル 第四年二号」1912(明治45)年2月、拾弐「スバル 第四年三号」1912(明治45)年3月、拾参、拾肆「スバル 第四年四号」1912(明治45)年4月、拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」1912(明治45)年6月、拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」1912(明治45)年7月、拾玖「スバル 第四年九号」1912(大正1)年9月、弐拾「スバル 第五年三号」1913(大正2)年3月、弐拾壱「スバル 第五年五号」1913(大正2)年5月、弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店1915(大正4)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 73,950 字 · 147 页
そしてそれを一種の楽みにしていた。学生どもが稀に唐桟ずくめの末造に邂逅して、びっくりすることのあったのは、こうしたわけである。そこで末造には、この外にこれと云う道楽がない。芸娼妓なんぞに掛かり合ったこともなければ、料理屋を飲んで歩いたこともない。蓮玉で蕎麦を食う位が既に奮発の一つになっていて、女房や子供は余程前まで、こう云う時連れて行って貰うことが出来なかった。それは女房の身なりを自分の支度に吊り合うようにはしていなかったからである。女房が何かねだると、末造はいつも「馬鹿を言うな、手前なんぞは己とは違う、己は附合があるから、為方なしにしているのだ」と云って撥ね附けたのである。その後だいぶ金が子を生んでからは、末造も料理屋へ出這入することがあったが、これはおお勢の寄り合う時に限っていて、自分だけが客になって行くのではなかった。それがお玉に目見えをさせると云うことになって、ふいと晴がましい、solennel な心持になって、目見えは松源にしようと云い出したのである。
さていよいよ目見えをさせようとなった時、避くべからざる問題が出来た。それはお玉さんの支度である。