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がん

雁

森 鴎外

壱、弐、参「スバル 第三年九号」1911(明治44)年9月、肆、伍「スバル 第三年十号」1911(明治44)年10月、陸、漆「スバル 第三年十一号」1911(明治44)年11月、捌、玖「スバル 第三年十二号」1911(明治44)年12月、拾、拾壱「スバル 第四年二号」1912(明治45)年2月、拾弐「スバル 第四年三号」1912(明治45)年3月、拾参、拾肆「スバル 第四年四号」1912(明治45)年4月、拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」1912(明治45)年6月、拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」1912(明治45)年7月、拾玖「スバル 第四年九号」1912(大正1)年9月、弐拾「スバル 第五年三号」1913(大正2)年3月、弐拾壱「スバル 第五年五号」1913(大正2)年5月、弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店1915(大正4)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 73,950 字 · 147 页

青空文庫

拾

同じ前掛でも、絹のはこの女の為めに、一種の晴着になっていて、台所へ出る時には掛けぬことにしてある。かれは湯帷子にさえ領垢の附くのを厭って、鬢や髱の障る襟の所へ、手拭を折り掛けて置く位である。

お玉はこの時もう余程落ち着いていた。あきらめはこの女の最も多く経験している心的作用で、かれの精神はこの方角へなら、油をさした機関のように、滑かに働く習慣になっている。

拾

或る日の晩の事であった。末造が来て箱火鉢の向うに据わった。始ての晩からお玉はいつも末造の這入って来るのを見ると、座布団を出して、箱火鉢の向うに敷く。末造はその上に胡坐を掻いて、烟草を飲みながら世間話をする。お玉は手持不沙汰なように、不断自分のいる所にいて、火鉢の縁を撫でたり、火箸をいじったりしながら、恥かしげに、詞数少く受答をしている。その様子が火鉢から離れて据わらせたら、身の置所に困りはすまいかと思われるようである。火鉢と云う胸壁に拠って、僅かに敵に当っていると云っても好い位である。暫く話しているうちに、お玉はふと調子附いて長い話をする。それが大抵これまで父親と二人で暮していた、何年かの間に閲して来た、小さい喜怒哀楽に過ぎない。