轻松读懂日语经典作品
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がん
雁
壱、弐、参「スバル 第三年九号」1911(明治44)年9月、肆、伍「スバル 第三年十号」1911(明治44)年10月、陸、漆「スバル 第三年十一号」1911(明治44)年11月、捌、玖「スバル 第三年十二号」1911(明治44)年12月、拾、拾壱「スバル 第四年二号」1912(明治45)年2月、拾弐「スバル 第四年三号」1912(明治45)年3月、拾参、拾肆「スバル 第四年四号」1912(明治45)年4月、拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」1912(明治45)年6月、拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」1912(明治45)年7月、拾玖「スバル 第四年九号」1912(大正1)年9月、弐拾「スバル 第五年三号」1913(大正2)年3月、弐拾壱「スバル 第五年五号」1913(大正2)年5月、弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店1915(大正4)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 73,950 字 · 147 页
岡田が古本屋を覗くのは、今の詞で云えば、文学趣味があるからであった。しかしまだ新しい小説や脚本は出ていぬし、抒情詩では子規の俳句や、鉄幹の歌の生れぬ先であったから、誰でも唐紙に摺った花月新誌や白紙に摺った桂林一枝のような雑誌を読んで、槐南、夢香なんぞの香奩体の詩を最も気の利いた物だと思う位の事であった。僕も花月新誌の愛読者であったから、記憶している。西洋小説の翻訳と云うものは、あの雑誌が始て出したのである。なんでも西洋の或る大学の学生が、帰省する途中で殺される話で、それを談話体に訳した人は神田孝平さんであったと思う。それが僕の西洋小説と云うものを読んだ始であったようだ。そう云う時代だから、岡田の文学趣味も漢学者が新しい世間の出来事を詩文に書いたのを、面白がって読む位に過ぎなかったのである。
僕は人附合いの余り好くない性であったから、学校の構内で好く逢う人にでも、用事がなくては話をしない。同じ下宿屋にいる学生なんぞには、帽を脱いで礼をするようなことも少かった。それが岡田と少し心安くなったのは、古本屋が媒をしたのである。僕の散歩に歩く道筋は、岡田のように極まってはいなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷、神田を掛けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。