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オリンポスのかじつ
オリンポスの果実
田中 英光
「文学界」1940(昭和15)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 75,277 字 · 147 页
なにしろ、二十のぼくが、餞別だけで二百円ばかり、ポケットに入れていたんですから――。
その頃、ぼくは、銀座のシャ・ノアルというカフェのN子という女給から、誘惑されていました。そして、それが、ぼくが好きだというより、ぼくの童貞だという点に、迷信じみた興味をもち、かつ、その色白で、瞳の清しい彼女が、先輩Kさんの愛人である、とも、きかされていました。その晩、それを思い出すと、腹がたってたまらず、よし、俺でも、大人並の遊びをするぞと、覚悟をきめていた訳です。が、さすがにこうやって働いている運転手さん達には、すまなく感じ、うちに着いてから、七十銭ぎめのところを一円やりました。
宅に入ると、助手が運んでくれた荷物は、ぐちゃぐちゃに壊れている。が、最初のぼくの荷造りが、いい加減だったのですから、気にもとめず、玄関へ入り、その荷物を置いたうしろから顔をだした、皺と雀斑だらけの母に、「ほら、背広まで貰ったんだよ」と手を突ッこんで、出してみせようとしたが手触りもありません。「おやッ」といぶかしく、運んでくれた助手に訊ねてみようと、表に出てみると、もう自動車は、白い烟りが、かすかなほど遥かの角を曲るところでした。