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オリンポスのかじつ
オリンポスの果実
田中 英光
「文学界」1940(昭和15)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 75,277 字 · 147 页
眼の下には、鋭い舳をした滑席艇がぎっしり横木につまっています。そのラッカア塗りの船腹が、仄暗い電燈に、丸味をおび、つやつやしく光っているのも、妙に心ぼそい感じで、ベランダに出ました。遥か、浅草の装飾燈が赤く輝いています。時折、言問橋を自動車のヘッドライトが明滅して、行き過ぎます。すでに一艘の船もいない隅田川がくろく、膨らんで流れてゆく。チャップチャップ、船台を洗う波の音がきこえる、ぼくは小説めいた気持でしょう、死にたくなりました。死んだ方が楽だと、感じたからです。
大体が、文学少年であったぼくが、ただ、身体の大きいために選ばれて、ボオト生活、約一箇年、「昨日も、今日も、ただ水の上に、陽が暮れて行った」と日記に書く、気の弱いぼくが、それも一人だけの、新人として、逞しい先輩達に伍し、鍛えられていたのですから、ぼくにとっては肉体的の苦痛も、ですが、それよりも、精神的なへばりのほうが我慢できなかった。
ぼくは、ボオトのことばかりでなく、日常生活でも、することが一々無態だというので、先輩達にずいぶん叱られた。叱られた上に馬鹿にされていました。ぼくみたいに、弱気な人間には、ひとから侮辱されて抵抗の手段がないと諦め切る時ほど、悲しい事はありません。