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まじゅつし
魔術師
江戸川 乱歩
「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1930(昭和5)年7月~1931(昭和6)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 139,264 字 · 280 页
大人しい妙子は、その云いつけを守って、即日ホテルを出発したが、明智に別れを告げる時には、彼女の方でも、気のせいか、ひどく名残り惜しげに見えた。
妙子が去ってからも、明智は以前の様に、子供達をボートにのせて、湖水を漕ぎ廻るのを日課にしていたが、さも快活に装いながら、眉宇に一抹の曇りを隠すことは出来なかった。
妙子の掴めば消えてしまい相な、しなやかな身躯、ほほえむとニッと白い八重歯の見える、夢の様に美しい顔、胸の擽られる様な甘い声音、それらの一つ一つが、時がたてばたつ程、まざまざと記憶に浮んで、明智は二十歳の青年の様に、悩ましい日を送らねばならなかった。
湖水に舟を浮べて、妙子と取交わした、様々の会話も思い出の種であった。だが、それらの春のそよ風の様に、朗かに甘い会話の中で、たった一度、打って変って、彼女は非常に陰気な打開け話をしたことがある。どういう訳か、その彼女の不思議な言葉が、殊更ら忘れ難く頭の底にこびりついて離れなかった。それは謂わばこの物語の発端を為す所の、一挿話に相違ないのだから、ここに簡単に記して置くが、その時、舟は例の常盤木の蔭暗き岸辺に漂っていた。