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あさひのよろい
あさひの鎧
国枝 史郎
「時事新報」1934(昭和9)年8月25日~1935(昭和10)年3月16日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 239,520 字 · 475 页
写経の桂子
それだのに今夜は火がともっている。
(変だねえ)
と桂子は思った。
(では猟師が入りこんだのかしら?)
そう思えば何んでもなかったが、何んでもなくない証拠には桂子の心が、その火にともすれば乱されることであった。
桂子は写経の手を止めて、しばらくその火を眺めたが、やがてその眼を猩々へ移した。
猩々は木もれの月光を受けて、雪の塊りでもあるかのように、黒い地面に浮き出ていたが、桂子の視線が向けられたと知るや、恭しく辞儀をした。
「卯ノ丸や、ここへおいで、ちょっとわたしのそばへおいで」
桂子はそう云って声をかけた。
彼女はそれが雪白であって卯の花のように見えるところから、卯ノ丸という名をつけて、長い間手もとに飼って置いたが、数年前に伏見街道横の、司馬の大藪地で他の獣と一緒に、放してやった猩々だということを、その猩々がそんなように、館の庭へあらわれた時から、その形によって感づいていた。
二十一日前に桂子は、写経の行を営むべく、この古館へ来たのであった。
「卯ノ丸や、どうしたのだえ、どうして側へ来ないのだえ」
また桂子は声をかけた。
と、また猩々は辞儀をしたが、そばへ来ようとはしなかった。