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やまびこおとめ
山彦乙女
山本 周五郎
「夕刊朝日新聞」1951(昭和26)年6月18日~9月30日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,360 字 · 251 页
――そうではない、人間は無意味に生れて来たのではない、現実はいま誤った方向へ動いているが、その支配からぬけだして、本来の生き方にかえれば、充実した意義のある人生を、掴むことができる。
たしかに、それはひとつの呼び声のようであった。その声は、ときをおいて、彼に呼びかけ、どこかへ、(人間らしい生活のほうへ)彼をいざない、招きよせるように、思えるのであった。
「村野さん、またひと口やりますか」
半之助は毎晩、浮かない調子で、そう云うようになった。
その日。彼はぐったりした、疲れたような気持で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。机の上には、新井白石の「東雅」が披げてある。覚書を取るための、筆や紙も出してあるが、その筆写本の頁は、まだ三枚と進んではいなかった。
窓の外には、若い赤松の林を越して、鋤き返された土の、黒ぐろと新しい、柔らかそうな栽地が見え、そこからなだらかな丘になって、丘の上の雑木林と、伐り残された一本の大きな松が見えた。
「そうだ、なをは死ぬほうがよかった」
梅雨のように、じめじめと陰気な、こまかい雨が、赤松を濡らし、栽地の土を濡らし、丘の斜面を、雑木林を、松の喬木を濡らしている。