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やまびこおとめ

山彦乙女

山本 周五郎

「夕刊朝日新聞」1951(昭和26)年6月18日~9月30日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,360 字 · 251 页

青空文庫

二

本当は怒っているのだが、顔色にも出せないし小言も云えない、というのかもしれなかった。

なぜなら、今日は柳沢家の、駒込の下屋敷へいって、姉妹で猿楽を舞うのであるが、花世はなかなか承知しなかった。

――わたくしたちの猿楽は、年にいちど、四月十一日の夜、神前で舞うほかには、決して舞ってはならない筈です。

かたくなに首を振った。

それは事実そのとおりである。その日は恵林寺機山公(信玄)の忌日に当り、亡き霊をなぐさめるために、いろいろと深夜の行事がある。みどう家はその祭主であって、古伝の猿楽を奉納するのが、代々のつとめになっていた。

登世はもともと、おっとりとした、気のやさしい姉であった。はねまわることの好きな花世は小さいときから、すっかり甘くみていた。

――おすましやのお洒落の泣き虫さん。

などと、よくからかったものであった。

みどうでは台所と縫い張のために、五十歳以上の下婢を何人か置くほか、召使はすべて、若い男に限られていた。かれらはみな、何百年昔からの家来筋であり、天正十年に武田氏が亡びたとき、表面はまったく絶縁したかたちで、帰農したが、じっさいには、今なおみどうの家来であることを誇り、家僕として仕えることを名誉にしていた。