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ふくいんさつじんじけん
復員殺人事件
「座談 第三巻第六号~第七号、第四巻第一号~第三号」1949(昭和24)年8月1日~9月1日、1950(昭和25)年1月1日~3月1日(未完)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 96,621 字 · 195 页
第三章 現代版丹下左膳
安彦は文科に籍のある学生だったが、腕力では、公一と段違いの筈であった。安彦はゆっくり起き上って、唇から流れる血を手でふいた。そして、それから滝沢が、安彦をだきとめなければ、今度は公一が一撃のもとに殴り倒される段であったに相違ない。ここで、すべてはウヤムヤとなり、みんなが自室へひきあげた。
その翌日の午後五時十五分頃、公一とその子の仁一は、早川口の海釣りから帰る途中に、轢殺されていたのであった。
第三章 現代版丹下左膳
巨勢博士と私は、定夫、美津子の兄妹と別れて、一杯やった。倉田公一父子の轢死事件といえば、当時私も小田原に住んで、小耳にはさんでいたゞけに、あの兄妹がその一族であり、巨勢博士へ依頼の件が、その事件につながる意味のものときいて、好奇心はボツ然とわき起った。
あの事件後一週間目に応召した安彦が、帰還したのである。ところが彼は、すでにビルマで戦死したという公報がはいっていた。戦死者の帰還――それだけのことなら、敗戦日本によくある話の一つにすぎない。倉田家の場合は、ちょッと話がちがっていた。
この前日――つまり、昭和二十二年九月十七日のことであるが、ヨレヨレの白衣をまとうた一人の傷痍軍人が倉田家の玄関に立っていた。