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あさひのよろい

あさひの鎧

国枝 史郎

「時事新報」1934(昭和9)年8月25日~1935(昭和10)年3月16日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 239,520 字 · 475 页

青空文庫

「逃げろ!」

「あぶない!」

と数人が叫んだ。

もうその次の瞬間には、乳飲み子を抱いている狂人の女と、早瀬とだけが後にのこり、ほかの者の姿が見えなくなっていた。

陽が明るくあたっていて、馬酔木の丘のような大きな叢が、その葉を銀色に光らしていた。

(まあ恐ろしい)

と早瀬は思った。

(白昼に人が殺されるなんて。……そうしてどうだろう殺した人の姿が、どこにもあたりに見えないなんて)

彼女は殺されている男の側に、首を垂れて立っていた。

顔の前に垂れている布の裾から、わずかばかり見える足もとの地面、それだけが彼女の視界であった。

彼女は非常に長い年月、布をかかげて遠くの世界や、身のまわりを見ようとはしなかった。

(わたしは誰も見たくない。わたしは何んにも見たくない。……そう、あの人を見るまでは!)

この心持ちが彼女をして布をかかげることをさせないのであった。

(良人頼春に逢うまでは、誰も見たくない、何も見たくない)

この心持ちがそうさせるのである。

彼女も杖をついていた。

その杖で行く手をさぐりながら、馬酔木の叢を巡りながら、当てなしにソロソロと歩いて行った。

近畿地方はいうまでもなく、山陰、山陽の方面まで、数年の間に良人を尋ねて、彼女は流浪し歩き廻った。