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しほんたいへいき

私本太平記(四)

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《私本太平記(四)(しほんたいへいき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 229,324 字 · 458 頁

青空文庫

「たれじゃえ?」

水仕部屋の障子の内で、お下婢のひとりが言った。けれど、野狐かむささびの悪戯ぐらいに思われたことなのだろう。また、にぶい明りと戯れ声を元のように、閉じこめている。

が、奥へとつづく黒い下屋廊下には、はっきりと、水気に濡れた足あとが残されていた。――その人は外で足まで洗って静かに入って行ったとみえる。やがて、幾曲がりした客殿の廊の奥深くまでくると、彼女は、ほっと、肩も膝もくずしきった姿で、しばらく一ト間のうちに坐っていた。

藤夜叉だった。

昼、伊吹城へ着くとすぐ、桃井直常に付きそわれて、不知哉丸ともべつに、ここの客殿におかれていた彼女であった。

ところが、彼女にすれば、ここは故郷といってもよい所だった。およそ城内の勝手ならどんな隅々までも知りつくしていたのである。たとえ桃井直常が表に監視をおいているにしろ、なんの拘束でもなかったのだ。

そのうえに。

ここへ来て、ここの山巒の気に吹かれると、彼女の乙女時代の性が眼をさましたようによみがえっていた。元々、田楽村の一少女だった彼女の根からの血が俄にそよぎ立てられて、その本来な、つよい生を持ち直したものか、いずれにせよ、矢作の柳堂で、一途に死のうなどとしたような、女の型どおりな弱い女ではなくなっていたのであった。