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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
Read 大岡越前 (おおおかえちぜん) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 218,436 characters · 437 screens
だが、施粥を楽しみにしてる者は、深川八幡だけにいるんじゃないぞ。江戸中にゃ、何万人いるやら知れやしまい。何万人の腹の虫が鳴くとしたら、この大釜の煮える音より、もッと大きな声がするわい」
「あんな負け惜しみをいう」
「だって、正月からいい負けたら、縁起がわるい」
「どん底のおら達に、縁起が吉いも凶いもあるもんか。これより下はありやしない」
「いや、病気と、死ぬことだけが、まだ残ってるぞ」
「あはははは。それもそうか」
みんなは笑いどよめいたが、死――という一語が出た時、夢うつつに、膝を抱いていた市十郎の首が、ビクッと上がった。そしてまた、とろんと俯向いてしまった。
また、子を抱いた女のひとりが、頓狂にさけんだ。
「あら、いやだ。安さんてば、虱を取ッちゃ火にくべてるよ。おらの方へよこしちゃ、やだよウ」
すると、安の隣りにいた老人が、
「安。正月じゃないか。殺生は止せよ。いまに温ッたけえ粥を喰ったら、虱にも正月させて、粥を喰った人間の肌を、たんと喰べさせてやるがいいだ。虱にくわせたからッて、寿命が縮みやアしないよ」
と、いった。
薪の束に腰をおろし、大勢の者の他愛ない冗戯を、同苦坊はニヤニヤ笑って聞いていた。