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みたびとうほうのへいわをろんず
三たび東方の平和を論ず
大隈 重信
「新日本 第四卷第五號 創刊三周年記念號 臨時増刊」冨山房、1914(大正3)年4月3日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,089 字 · 24 页
一 極端より極端に移る対支政策
一 極端より極端に移る対支政策
我輩の東方平和論は、本誌に於ては今度を初めてとするが、前後を通じてこれで三度である。その第一回は今より約二十年前、ちょうど日清戦後列強の間に支那分割の形を現じた時であった。最初列強は支那を目するに眠獅を以てした。それは当時清朝の重臣曾紀沢の巴里に於ける演説に、自国を擬するに眠れる獅子を以てし、一たび覚醒せんか、支那はまた今日の支那に非ず、獅子一吼百獣震駭する底の猛威を振わん事を説いたためだ。即ち支那はあたかも盛んに西洋文明を採用して富国強兵の術を勉めた頃で、洋式の陸海軍を編成し、特に大沽砲台、旅順、威海衛の軍港を設くる等、その面目を一新するの概あり。この勢いを以て進まば、支那の将来侮るべからざるものがあった時とて、眠獅の一語は痛く列強の民心を刺激したものであった。然るに日清役起るや勝敗の結果は如何であったか。予期に反して支那は海陸共に連戦連敗であった。その頃支那の兵力は海陸共に我に優り、海軍に於ては当時すでに戦闘艦二隻を有していたが、日本にはその様なものなく、総噸数も甚だ少なかった。陸軍に於ても彼には李鴻章の部下に属し、洋式に訓練されて精鋭の聞えあった直隷軍をはじめとし、兵数は甚だ多く器機も最新のものを用いたが、我にはただ七個師団あり、それも今日とは違い、師団そのものの兵