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やまびこおとめ
山彦乙女
山本 周五郎
「夕刊朝日新聞」1951(昭和26)年6月18日~9月30日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,360 字 · 251 页
――すっかりおちついたら、母を呼ぼうか。
彼はこう思うことがある。母に関する限り、殆んど本能的な呵責を感ずる。それはときに、耐えがたいほどであるが、彼はいつも自分に向って、つよく首を振るのであった。
――安倍半之助はもうこの世にはいない、おれはまったくべつの人間だ、……母には母の生活をして貰おう。
八月十七日の夜、八時ころになって、花世がやって来た。ずっとまえから、満月の夜に法王山を見にゆく、という懸案があった。ふしぎに故障があって、それまで果せなかったのを、名月の晩にこそと、改めて約束したものである。
――十五夜というと、よく曇るか降るかするけれど、今年は大丈夫なのよ。
花世はしかつべらしく云った。
――だって去年が閏だったでしょ、閏年のあくる年の中秋には、決して月の曇ることはないんですってよ。
その十五日は朝からしぐれもようで、空はいちめんに重たく雲で閉ざされ、雪でも降るかと思われるほど、寒かった。そして、花世が来たときは、じっさいはらはらと、小雨が降りだしていた。
――大丈夫、いまにきっと晴れますわ。
彼女はさも知ったように頷いた。
――まさか天ですもの、去年が閏だってこと、忘れるわけがないじゃありませんか。