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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

第二部

11 文学に於ける偶然性と必然性

になるそうである。自由主義者は例えばこうして出来上るだろう人格者に無論反感と軽侮とを示すだろうが、ここでも、そういう自由主義的心情に手頼って、実際的に之をどう処置する気なのか、それは自由主義者に聞いて見なければ判らない。

新しい道徳は、習俗の不合理性を決算し、心情の非実際性を淘汰することによらなければ、決して育って行くことは出来ないだろう。云わばマテリアリスティックな道徳が、合理的で且つ実際的な道徳が、その意味で科学的な道徳が、今後の唯一つのモーラリティーとして世間の人達の身に着き始める時が来るだろうと期待する。そしてこの新道徳を探索し開拓することこそ、今後のプロレタリア文学一般の何よりの仕事とならねばならぬだろうと考える。

(一九三四・二)

第二部

11 文学に於ける偶然性と必然性

最近文学に於ける偶然性の問題が喧しく論じられ始めた。その動機には二つあって、一つは文学の通俗性という問題の提起にからんでであり、もう一つはロマンティシズムの再評価という問題の提起からである。文学が文学としての純粋さを失って、所謂通俗文学に堕すことなしに、而も之を大衆的な興味に訴えることがどうして出来るか、という研究が前者の動機であり、世間の文学の玄人や素人からコチコチの干からびたものだと考えられているらしい所謂リアリズム(リアリズム