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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
29 ディレッタント論
一
こうしたジャーナリストは併しその数が極めて少ないのであるが、或る国の文化がどの程度に地につき得るかということは、この種のジャーナリストの量と質とで測定することが出来るかも知れない。
今は余地がないから省くが、このジャーナリストの意義を追求して行くと得られるだろう最も大切な結果は、唯物論というものとこのジャーナリストとの必然的なつながりでなくてはならぬ。特に現代の事情に就いて云えば、この点想像に難くないことだろうし、又前例としてはフランス唯物論者、アンシクロペディストがある。つまり今日、文化を総合し、批判し、思想を有ち、哲学を貫き得るもの(それがジャーナリストの使命だと云ったが)は、唯物論者に他ならぬ、という結果が出て来るだろうと思うのである。
(一九三五・五)
29 ディレッタント論
一
職業人に対立するものを世間ではアマチュアと呼んでいる。それから私は私かに、専門家に対立する者をジャーナリストと呼ぶことにしている。現在ジャーナリストという言葉には随分いろいろの任意の意味が含められているが、ジャーナリズムの本質の歴史的展開を大体において追跡して見ると、ジャーナリズムをそういう風に考えるのが、一等生きた考え方だと思うからである。