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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

17 「純文学」の問題

偽似モダーニズムや反モダーニズムはその思惟方法がかかるメヒャニスムスにまでさえまだ来ていない。日本に於ては純粋の資本主義が進歩的な意味を持つように見える限度で(例えば自由主義は夫だと云われているが)、モダーニズムは進歩的に見える。資本主義的消費生活が行きづまると考えられる限りモダーニズムは行き詰る。この行きづまりの解決は無論偽似モダーニズムでも反モダーニズムでも復古主義でもあり得ないのは判り切ったことだ。各種のファシズム(アメリカニズムや自由主義さえ実は之に数えられねばならないのだが)が資本主義の解決でない限り、そうだ。モダーニズムの機械主義に対する解決は一方に於てテヒノロギー、他方に於てディアレクティークなのである。

凡ゆる非合理主義的文学理論に対しては、吾々はモダーニズム文学に左袒する。だがそれ以上はモダーニズム文学を信用しない。

(一九三四・八)

17 「純文学」の問題

わが国の文壇はかつてジャーナリズムの近代的な聖殿を以て自他共に許していた。処が最近になって、所謂大衆文学――通俗小説・探偵小説・科学小説・政治小説・小唄その他――がジャーナリズムを圧倒的に席巻するようになって、文壇はジャーナリズムに対する特権ばかりでなく、これに対する一般的な権利をさえ失わねばならないようになって来た。