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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
五
文学が生活意識から出発することは、誰しも異論のない処だろう。処で他方、弁証法的唯物論(それが本当の唯物論だと云っておいた)は、世界観としては、事実上プロレタリアの世界観であり、又益々そうなりつつあると見られる。で今の場合、唯物論的な文学(仮にそう名づけておこう)が、プロレタリアの生活意識から出発するということは至極あたり前の事実なのである。世界観乃至生活意識が、現実の忠実な反映である以上、プロレタリアのものであるとかないとかは本質的な問題でない、と考える人間もいるかも知れないが、それは、今の場合生きた事実の代りに可能的な原理をかつぎ出す三百代言式な横槍に過ぎない。
五
処で、世界観は方法との関連に於て初めて世界観であることが出来ると云った、そのことは同じく方法の側に就いても真理である。二つのものは切り離しては死んで了う。世界観と方法とがどう異るかはすでに触れておいたが、今は二つの必然的な結び付きにも人々の注意を喚起しなければならぬ。で、唯物論(弁証法的唯物論)がプロレタリアの世界観であったとすれば、之に必然的に連関している処のプロレタリアの文学制作の方法も亦、唯物論でなくてはならぬ。