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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
20 横光利一の論理
ないばかりか、そこでは却って谷川は非常に生活に対し真剣なのであって、文学主義者の生活に対する愛着の真剣さなどとは、そのスケールを異にしているかも知れない。
谷川徹三の最も好む言葉の内に、内部と外部というのがある(『内部と外部』という評論集もある)。ここで一々この二つの概念を検討している余地がもう無くなったが、大体想像はつくだろう。普遍人間的なものに対する、又文芸に対する、こうした二元論(乃至は多元論)は、全く彼の自由主義者的な「政治」理解の制限から来るのである。
森山啓に就いて多少査べてあるのだが、余裕がないから割愛しなければならなくなった。森山啓の場合には、彼が個人的に持っているイデオロギーは大して問題ではないから、今の見方とはもう少し違った他の視角から見た方がいいかも知れない、という弁解もあるわけだが。
(一九三四・七)
20 横光利一の論理
横光利一という作家は短日月の間に随分文学的な道のりを歩いた人だと云われている。だから彼を批評するには具さにその道程に沿って歩いて見ることによって、彼が今や赴こうとしている方向を割り出さなければならぬ。と共に彼が一人の歩く作家として持っている独特の法則のようなものは、この全行程を通して、初めて手繰り出すことが出来るわけだ。