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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
18 主体及び道徳
一 芸術に於ける主体の問題
「純文学」の真理と「大衆文学」の真理とはここではじめて救われる。
(一九三二)
18 主体及び道徳
一 芸術に於ける主体の問題
唯物論に於ける、或いは唯物論に対する、一つの根本的な誤謬乃至誤解は、唯物論を何等かの単なる客観主義に帰着させる見解である。例えば西田幾多郎博士は現代の思潮によせてベルグソンなどが主観主義を代表するに反してマルクス主義は客観主義を代表すると考え、従っていずれも偏頗で一面的な真理を含んでいるに過ぎないと云っている。之に反して博士自身は主客未分の状態を想定して、そこから哲学は出発せねばならぬと主張する。
博士自身の立脚点の是非は今ここで直接の問題ではないが、マルクス主義的唯物論を一種の客観主義と思わせることに就いては、マルクス主義自身に多少の責任がなくはない。之は聞き飽きる程云われていることが、対象を実践的に、従ってその意味で主体的に捉えなかったことが、フォイエルバハの、そしてもっとつきつめてプレハーノフ=デボーリンの、誤謬であったと云われる。つまり主体の問題が適当に――適当にであって勝手な仕方に於てではない――取り上げられなかったということが、こうした段階の史的唯物論以前の、又はこうした段階の史的唯物論の、欠陥だったのである。