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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
大事なのはその内容だが、処がここで思想というものが形式的な機械的な思惟にでも導かれているように考えられているという点を、もう一遍ハッキリ思い出して見なくてはならぬ。
思惟の形式的で機械的な判断や推理が、思想のメカニズムであり、それが又理論というものであり論理というものであり、又科学というものだ、とこの思想拒絶症は決めてかかっているのである。だから彼等思想拒絶症患者によれば、文学や哲学を救うためには、こうした科学・論理・理論・思想に対する信用を捨ててかからねばならぬということになる。22が4は論理的に必然だが、22が5という計算をする人にとっては、この誤謬を犯すこと自身が嘘ではないことを誰が疑い得よう。太郎がお花を絶世の美人と思い、お花が太郎を不世出の英雄と考えたという事実自身は、間違いではないだろう、とそう彼等は云い出すのだ。
それは確かにそうなのだ。思想というものが形式的で機械的な思惟だと決めてかかる以上、全くそうなのだ。確かに間違わないよりも間違う方が或る意味では真理であり、処女のマリアよりも大工の妻君のマリアの方に真理があるだろう。真理は紙片のように裏表があり、嘘から離れて真理はあるまい。