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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
真理は一本調子では行かないのが本当だ。その意味において所謂ラショナリズム(デカルト的機械論が之を代表している)に真理はなく、そうした合理的な推理から初めて辛うじてデッチ上げられたユートピアとしての理想主義(観念論)も、徹底した機械論的ラショナリズムとしての唯物論と同様、全くただの観念にしか過ぎないのであって、真理と何の関係もなかろう。
処が思想というのは他ならぬこうした真理の把持のことではなかったのか。だから私に云わせれば、罪は思想にあるのではなくて、思惟に、形式的機械的な思惟に、或いはそうした思惟を思想のメカニズムと決めてかかった思想拒絶症自身の機械主義に、横たわるのである。彼等にとっては思想と云えば専ら機械的なものにだけ見えるのだ。だからなにかの形の無思想こそ、その唯一の思想内容でなくてはならぬと考えて来る。その一つの結果はニヒリズムともなるのである。
処がこの思想拒絶症が、マルクス主義哲学を通って来たばかりの現在の社会が呈している症状だという点を重ねて注目すべきである。と云うのは、マルクス主義的思想は、一方、元来から云って、凡そ思想なるものが機械論であってはならないということを、実に繰り返し繰り返し唱道したのであった。