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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
社会は当時その弁証法提唱を聞き飽きたのだが、聞き飽きたが故に、今ではこの論理学的急所を奇麗に忘れてしまったように見える。
否、論理学的急所を奇麗に忘れてしまうということは、何も機械論排撃のテーゼに関するとは限らない。マルクス主義哲学は、理論の、科学の、論理の、党派性ということに就いて実に数え切れない程の言葉の数を費した。夫はどういうことだったかと云うと、つまり思想のメカニズムによる云わば新陳代謝における首尾一貫――思想が自分で何を食ったら成長出来るかを見て食物を選択すること、――のことだったのだ。この首尾一貫性こそ思想の生命で、この命によって思想が初めて存在するのだった。こうした思想の首尾一貫的な貫徹(徹底とかラディカル=根柢的とか云われた)=党派性の公式も亦、見事に忘却の河で洗い流されて了った。マルクス主義も、その論理学的・哲学的な急所になると(文学上又は社会思想上の形ではとに角)全く皮相な流行であったかのように、ケロリと払拭されて了う。
単に自然と忘却したばかりではない。忘却するように今や仕向けられているのである。その必要が実際にあるのだ(その必要は今ここで分析するまでもない)。