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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

それが特にシェストーフ的なものを以て充たされるように見え、又充たそうと考えられるのは、偶然性であり主観性であると云った。この点をもっと具体化しておかなくては、シェストーフ的現象の本質を鮮明したことにはならぬ。

普通シェストーフの哲学は、不安の哲学として紹介されている。或る人は之をハイデッガーのエキジステンツの哲学と均等して摂取し吐き出そうとする。だがシェストーフに果して、例えば不安を介して人間の本来的存在を解明しようというような積極的な「救済」があるだろうか。私の知る限りではこの点が疑わしいものだ。不安の哲学と一口に云ってもその意味は殆んどナンセンスに近いので、不安を克服する哲学のなかの不安についてお喋舌りをする哲学なのか、不安を説いて安心する哲学なのか、一向判らない。併し少なくともシェストーフのは、読者を不安の淵までつれて行きそこから読者をつき離す処の哲学であるように見受けられる。実はここにニヒリスティックな或いは又アナーキスティックな卓抜さがあるのであって、同じ思想の退潮期の穴埋め材料としての宗教復興などに較べて、卑俗さが遙かに少ない所以なのである。