轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
だがこの希願をもった人が必ずしも無秩序を真に諒解しているとは限らない。」之はまだ割合対句臭くない逆説だ。併し「社会的立場から小説を読んで、左翼であるか右翼であるかばかりしか見えぬならば、読まぬ方がましである。文学的立場から小説を読んで心理派か理知派かと心配になる様なら、読むだけ無益である」、等々其の他殆んど一切の文章。――私が魅力を感じるのは、つまり彼の俗にいう達者なおしゃべりだったわけである。
彼の評論の内容は仲々達者であり又ユニックでもある。だが彼の達者なおしゃべりが、達者でユニックな筈の彼の評論内容を、一種不健康で退屈なものにして了う。文章に凝っているらしい彼の文章は、パラドックスのダシガラのやや非審美的な単調な反覆としてしか現われない。磨かれたガラクタ、と云ったようなものが彼のパラドックシカルなおしゃべりの客観的効果なのである。こうしたノッペリとしたおしゃべり屋は、無論小林秀雄だけではない。小林のには洗練されたベランメイが装置されているだけに少しは苦み走って見えるのが取柄だろう。
彼のおしゃべりは彼の文筆活動が多産だからではない、そのしゃべり方がおしゃべりなのである。