轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
彼自身に向かって吠えているのでないことは前に云った通りだが、更に又彼にあやかろうとしている文学青年達其の他の者に向かって吠えているのではないことも当然である。彼が吠えついている相手は一般に云えば俗物大衆である。平常な常識の所有者なのである。彼によると最もクダラない純粋文学と雖も最も立派な大衆小説さえ足下にも及ばない程有用なものなのである。無論併しこの愚劣な大衆小説はとに角として、俗物大衆自身は小林に対しては何の実際上の交渉があるわけではないから、この貴族は本当は一般の俗物大衆を相手にして吠え立てているのではない。彼の相手は、いつでもそうだが、専ら文学上の、文芸的な、俗物なのである。彼はどうもこの文学上の俗物の典型を、マルクス主義文学者の内に見出すらしい。
「ここに文学と政治の問題が起こった。文学的価値と政治的価値、この数年来凡そ喧騒を極め、凡そ無意味な問題は、遂に文学と政治との弁証法的統一という処に落ち着いたらしい。弁証法という字は実に深刻な字であるらしい。
「では文学と政治との弁証法的統一とは作家が一日に七回も委員会に出席しなければならぬ事なのか。