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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
個人主義などというイズムは小林には迷惑だろう、金魚にとっては金魚などという概念は迷惑だろうと同じに、自分だけが問題である者にとっては無論個人主義などはなり立たない。まして小林一流の形に於ける個人主義が、小ブルジョア的・乃至半封建小ブルジョア的・な「文壇」インテリの社会ファシスト的分子を代表する処の、イデオロギーであるとかないとかいうことは、凡そ「無意味」で「喧騒を極めた」ものにしか過ぎないだろう。自分の糧はさし当り水だ。金魚鉢が鴨居につるされようと机の上に置かれようと、どうでもいいではないか。
この怠慢で鈍感な影像力・想像力は、本当は回り道をすることは大嫌いで、客観的なリアリティーは云うまでもなく、主体的なリアリティーさえ通過することは億劫である。そこでその代りになりそうな併し最も安易な道を選べば、夫が小林式パラドックスとなる。彼の内容の乏しい形式主義的内容は、実在が、客観的な物質界が、恐ろしいのだ。そこで彼はこの不安を打ち消すためにノベツにしゃべり立てなくてはならぬ。無論言語影像の世界のことだからどんなおしゃべりを創造するのも自由自在である。