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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

処がこの独特のモーラリティーはやがてこの一見非倫理的な機械関係乃至関数関係から発生するのである。

「私はただ近づいて来る機械の鋭い先尖がじりじり私を狙っているのを感じるだけだ。誰かもう私に代って私を審いてくれ。私が何をして来たかそんなことを私に聞いたって私の知っていよう筈がないのだから」(『機械』)。こうやって機械が倫理的責任を負い始めるのである。この機械は云うまでもなく外部的な必然性だが、そこまで持って行かないと人間同志の間の機械関係乃至関数関係が、落ちつく処へ落ちつかないからである。人間同志の機械的な相克・拮抗の貸借対照表が、人間関係の関数関係乃至方程式が、そうしないとこの段階の横光には発見出来なかったのである。

処が神様のようなこの外部的な機械は、横光の倫理(之は即ち人間的自由だ)が発育するに従って、段々内面的なモーラリティーに転化して来る。そしてここに例の世間で有名な自意識なるものが召し出される。問題になる自意識は大抵過剰な自意識で、実体的意欲を持った者の立場にとっては往々ナンセンスだが、併し自意識が機械の内面化した道徳的緊張力であることを見逃すことは出来ない。