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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
――処で社会科学と自然科学との間には、だから又、丁度そうした統一的な共有性が見出される。例えばダーウィンがマルサスの人口論から示唆を得たことや、又マルクスがダーウィニズムに於て社会科学の生物学的証明を得たというようなことは、それだけではまだ、或る人々が云うように自然科学の歴史的・社会的制約を云い表わすものだ、とは考えられないが、併し、自然科学と社会科学との体系上のイソモルフィックな関係を指摘するには充分だろう。体系と云えば併し常に根本概念の体系、即ち範疇の体系に外ならないが、二つの体系がイソモルフィックだということは、この範疇体系――従って又各範疇自身――が共軛性を有っているということに基く。と云うのは、一方の科学に於て行なわれる範疇が、無論そのままにではないが、一定の共有契約関係の下に翻訳されて、他方の科学にも行なわれるというのである。例えば事実上の結果としてだけ見ても、社会科学に於て機械論が行なわれ得なくなる時は、幾層かの社会的等価関係を通した結果として、同時に、自然科学に於ても亦機械論が擲たれる時なのである。唯物史観は所謂自然弁証法と共軛的であらざるを得ないだろう。