轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
又ソヴェート同盟あたりでは、政治家的感能がないものは文学者としても一人前ではない。だが日本では比較的純粋な政治家が殆んど唯一の政治家だし、之に反して又比較的純粋な文学者が多量に生存出来ている。此の特別な現象を云い表わすためには、政治家と文学者との分類が一応便利だと思うのである。例えば斎藤首相と谷崎潤一郎とを対比させて見れば私の云う意味は相当明らかになろうと思う。或いは文部省の例の武部局長や粟屋次官と、誰でもいい純文芸派なり文芸復興派なりの文士とを対比させて見るのもいい。
さてそこで日本の「文学者」も日本の「政治家」も少なくとも表面上は、一つの共通な人間評価の尺度を持っているような顔をして見せることになっている。と云うのは、政治家の方は俗物で、之に反して文学者の方が超俗物的だという評価である。無論俗物というのは非難するか卑下してか、そう云うのである。内心はこの超俗物を軽蔑していても、又実は私かに俗物を歓迎していても、上べはお互いに俗物を下等なものと考えて見せている。だから所謂俗物も、単なる俗物でないことを暗に示すために、坐禅をやったり俳句を作ったりすることにさえなるのである。