轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
今日では法王に代って、このブルジョア大学の総長の印璽が神聖哲学や神聖科学にサンクションを与える。凡そ之にそむくものは、科学的に真理であろうとなかろうと、俗悪思想で俗物科学だとされるわけである。例えば広い意味に於けるプロレタリア科学乃至弁証法的唯物論などは、最も卑俗な科学乃至哲学ということになっている(『唯物思想』!)。
だが、実はこの大学の官許科学乃至官製哲学こそが、夫が神聖であることによって、或いは之を神聖視することが強制されていること自身によって、却って正に現在最も俗物的なものの見本なのである。丁度アカデミックな文学が、正にアカデミックであるが故に今日では一等俗物的な文学であるのと、之は少しも変らない。
で、各種の神聖哲学がどれ程神聖な俗物にぞくするかは、一二の場合を取って見ればすぐ判ることだ。神聖哲学の割合理論的(?)なものは、今日の大衆無産者を動かしている生きた世界観と相容れないばかりではなく、ブルジョアジー自身を動かしている世界観とさえ連絡をつけることが出来ないような、徒に荘厳にされた神聖な死体に過ぎない。之に対して、割合生命的(?)な神聖哲学は、生の哲学、ヒューマニズムの哲学(この人間主義は今日ではアカデミックになって人間学主義と変っているが)、又特有なリベラリスト哲学として、超俗物派的プチブル