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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
二
文学が常識的であり日常的であるように、哲学も元来そうした意義を持っているのである。ただ人類に於ては知性は情感よりも発達に時間がかかるから、文学はやさしく哲学はムツかしいという無責任な定評になっている迄だ。
併し哲学は日常的だと云ったが、今云った夫の一種の必要なムツかしさは別にして、事実不必要なムツかしさを持った哲学(アカデミックでペダンティックな)もあるし、又一見極めて甘くやさしく見えながら、その本質は甚だ反日常的で非常識な哲学もある(今日吾々がよく見る文学的な神学乃至形而上学的文学!)。だが之は哲学の文学性を示すものでもなければ反文学性を示すものでもない。之等のものは哲学とは無関係に単に文学的であるか単に非文学的であるかに過ぎぬ。――併しこれは実は哲学の階級性に関係している事柄なのである。だが階級性はここだけの関係ではないので、後にそれを見て行こう。
二
哲学は言葉乃至文章と特別な因縁があったから、哲学自身この点の反省を加えた種類の哲学や哲学部門は非常に豊富である。その第一は修辞学(レトリカ)だろう。修辞学と云うと現今では作文の方法のように受け取られるが、そして作文というものは今日想像されている以上に重大な哲学的意味を持ったものではあるが、実はレトリックは元来演説乃至議論の方法を意味したものであった。