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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
だから範疇乃至範疇組織は、哲学の方法(従って又おのずから哲学体系)となるわけであって、之が哲学の枢軸に位いすることになる。哲学の生命はその論理による所以を前にも述べたが、範疇組織こそ哲学の論理であり、即ち本当の意味での論理学の内容なのである。夫々の哲学の根本的な相違はこの範疇組織の相違であり、哲学の科学的進歩は、この範疇組織による又この範疇組織自身の進歩による、進歩に他ならない。
元来範疇は対象を言い表わすものであり、又対象を云い表わした処のものであると云ったが、その結果当然範疇及び範疇組織は、対象の構造を言葉の形の下に写して置き換えた或いは写して置き換える処のものでなくてはならぬ。哲学の論理を問題にする場合には、今云ったこの点が何よりも大事なのである。――だが今の問題は、哲学と言葉乃至文章との方法論上の問題であったから、範疇が言葉にぞくするものだという側の方が専ら肝要だ。――処が、言葉は一定の歴史的必然性によって、夫々の一定社会の事情の下に分化して来たものであることは、広く知られている言語学上の定説であって(インド・ゲルマン語の或いはそれより古い有史前語の発達が今日の少なくとも各種の欧州語を結果した)、そのように範疇も亦無論歴史的発展のコースと社会事情による分化とを有っている。