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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
常識というのは半ぱな卑俗の知識のことではなくて、実は一切の見識・知見を最も合理的に手近かに統一したものでなくてはならないのである。
常識が発達し、その質が向上すると、教養と呼ばれるものになる。普通、俗に人格とか学識とか呼ばれているものは実は教養と云えば語弊がないので、之は人間の一般的教育の理想ということになっている。例えばドイツでは大学を卒業することを大学で「教養を受けた」と呼んでいる。――教養という言葉は常識という言葉の特別な場合に他ならない。少なくとも常識と教養とをそういう関係で理解すべきである。処で行き渡った教養の深さは、哲学することの先決条件である。
だが、常識や教養を必要とするものは独り哲学乃至哲学法に限らないのは云うまでもない。併し特に哲学法にとっては、之が致命的な条件だというのである。例えば或る意味で非常識な自然科学者でも自然科学者としてある程度までの価値を持てるかも知れないが、非常識な哲学者にあっては、その哲学自身が非常識だということになって、哲学としての欠陥を意味することになる(教養に就いても亦そうだ)。哲学は常識乃至教養から出発しなければならぬ。