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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

今日随筆が盛んなのは、単にその量が増加しただけではなく、夫の文学創作としての資格が向上したことを示しているのだ。

竹友藻風はそこで、世間で随筆とエッセイとを混同していることを痛く嘆いている。エッセイとは氏によると、俳文に近いものであって、そうした一定の文学的な目的を持ったものだが、随筆の方はそんな目的を持たない、と云うのである。だが又々百間であるが、彼の「随筆」にはいつも必ず一定の文学的目的がハッキリと横たわっている。フィクションこそないが、立派に巧まれているのである。芥川竜之介の多くの作品は、エッセイの部類に入れられるらしいが、夫と百間の作品との間に、この問題に関する限り、どれだけのけじめがあるだろうか。でこう考えて来ると今日の随筆は実にエッセイのことに他ならなかったのだ。随筆が盛んだというのはエッセイが盛んだということだ。

併し、エッセイとは何か。藻風によると俳文に類するものらしかったが、どうも夫は一種のエッセイのことであってエッセイの凡てのことではないようだ。氏はエッセイを、韻文ならば抒情詩に相当する散文の小品だというが(そして小説は叙事詩に相当する散文だという)、情緒的な内容だって世界の客観的事象にからんで発動する場合の方が信用出来るし、それからその情緒が俳人的なものに限らないことも、明らかなこと