轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
たのであり、仮にそうでなくても、文芸評論は必ずしも創作家に助言を与えるためにばかり行なわれるのではないので、創作家の関心から一応は別な、それ自身独立な他の関心から、夫が行なわれると考えることが出来るとすれば、文芸評論それ自身は、今云った理由からは、何も自分固有の権威を縮小されることにはならない。――処が科学に対する評論は、今の処数から云っても至極少ないのだし、又それ自身の独立性に於ても力弱いということが事実のようだ。だから科学者、中でも特に自然科学者達が、科学に対する評論を軽蔑するのは一応尤もなことである。
だが一体、科学であろうが文芸であろうが、なる程わが国などで一時流行した観念哲学、特には立場(アプリオリ)の区別に専ら興味を持つ新カント主義哲学などによって、どう本質的なアプリオリの上の区別が与えられようとも、どれも斉しくイデオロギーだという点から観察を進めて行くと、夫々の特殊条件の下にではあるが、二つは全く同一のイデオロギー的根本構造を持っている。で、文芸に於て本当に重大性を持つような評論・批判・乃至批評が、科学に限ってそれ程重大性を有たないということは想像出来ないことなのである。