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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
三
吾々の認識が知覚という感覚内容から出発しなければ確実にならないと全く同様に、評論も亦、直接に触発された印象というセンスから出発しなければならないのは明らかである。初めから批評の結論を仮定するような成心を以てする評論は許されない。その意味で評論は率直で正直であることが必要なのであって、この率直で正直な印象がどうやって自分の内に結果したかを後から説明するのは評論の名に於て必要なことだが、印象そのものはあくまでありのままに受け容れるのでなければならない。印象を詐る時は、すでに評論の第一条件を欠いている時だ。だが、印象から出発するということは、決して印象に止まることではない。認識が知覚から出発することが、決して認識全般が知覚に尽きるということにはならないのと同様に、評論が有態の印象から出発するということは、何も印象批評で物を云えということにはならない。印象の段階を踏み越え得ないという性質を有っている印象批評は、丁度普通の認識過程に就いての経験論や直観主義のようなものであって、それが本格的な評論の仕方を代表するものであるといわれない。
三
印象は批評の出発点なのである、従って又、印象から出発して展開されたその後の省察が、そこに立ち還って検証を受ける処の、帰着点にもなるのである。