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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
想像力としての抽象力と、示唆能力としての直覚とがなくては、たとえばエネルギーなどという概念は理解出来ず又使われ得ない。オストヴァルト的エネルギー観念の取り止めのなさ(精神さえ物的なエネルギーだという)も、実はこの消息を物語っているだろう。
想像力と示唆能力とが、科学の創造的な積極性の観念上の条件になっていることは、歴史にその例を事欠かないが、併し光は神であるというような象徴的物理学や、友愛的親和力で片づけるようなファンタスティックな化学などは、もはや(或いはまだ)科学ではあるまい。科学は自分自身想像力や示唆力に、自ら制限をおくことを忘れない。この制限は、実在との照応ということに他ならない。科学的認識が記号に帰着するという説もなくはないが、夫は実在をよりよく照明する方法だとしてそう云うのであって、実験的に検証されないものの記号は無意味とされている。実験に出て来ない観念は使わないというのが、往々実証主義的に曲解されてはいるが併し実は唯物論的な、最近自然科学のモットーなのだ。
つまり科学的理論で活躍する天才的な(?)想像力も示唆力も、実験可能、検証可能という黄金の鎖で、実在という岩に縛ばられているプロメテウスだ。