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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
ばならぬ。
一体、道徳意識は云うまでもなく様々な政治的社会的諸運動によって表現されるが、それと同時に最も端的には文学の形式によって云い表わされる。吾々がもし或る個人や或る社会群や又或る時代の道徳意識を知りたいならば、何よりも先に、その文学を知ればよい。なる程道徳的内容のない文学と呼ばれるものはいくらでもあるが、併し道徳がないということ自身が一種の道徳意識の表現に外ならない。そこで、今云った国粋ファシストの道徳意識も亦、当然最も端的にその文学又は文学運動となって現われる。文部省の知らない間に、時の警保局長の個人的肝入りで話し合いになった例の帝国文芸院(後に文芸懇話会)や、その第二流陣などは、恐らくここにその面目を施す性のものに相違ない。
さてこうした国粋ファシスト的道徳意識に対して、最も敏感に道徳的反発を感じるものは自由主義者達である。左翼的意識を持つものが最も深甚な対立物をこの国粋ファッショ的道徳意識の内に見出すのは云うまでもないが、自由主義者の特徴は、この反発を専ら道徳的な根拠から、道徳意識に於てのみ意識することにあるのである。彼等は単にその心情から云って国粋ファシストの反動的な道徳意識が気に入らないのである。