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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
問題は風刺文学ではなくて風刺そのものにあったのである。
凡そ或る事情を、真面目に見て見ようか風刺的に見て見ようか、などということは、個人々々によって勝手なことではなくて、風刺的なものとそうでないものとが、すでに初めから客観的に異っているのである。尤も本来風刺的であるものをば、そうでないもののようにしか受け取れない人間もいるが、それはその人間が恐らく至らないことを意味するので、すでにそれだけ、風刺的であるべきか否かは客観的な標準を有っているのだ。皮肉に出てやろうか、それとも親切にしてやろうか、という風な心の風の吹き回しとは違うのである。
ではリアリティー自身が風刺であるとは、どういう場合をいうのか、それを最後に見ておきたい。――まず風刺する人間の主観から考えて見ると、風刺には第一に憎悪がなくてはならぬ。併し憎悪はただ毛嫌いや嫌悪と違うことを注意すべきで、憎悪し得るためには必ず憎悪の対象と反対な何等かの理想の範型を有っていなければならぬ。この一定の理想と如何に夫が相容れないかを知らなくては積極的に射抜くような的確な意志の発動としての憎悪にはならない。