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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
笑いには必ず一定の予料、予期が仮定されているもので、而もその予料乃至予期が、無意識の間に可なり精密に規定されているのである。一方に於てこの期待がウマウマと裏切られたという意表に出られた意識が笑いとなると共に、他方又この期待が壺に嵌まるように充たされたという意識が笑いを促がす。併しこの場合仮定されている期待が精密に規定されたものでなくて単に漫然としたものであったならば、そこから起きるものは恐らく単なる不満か又は単なる満足だけだろう。期待が相当精密に規定されているということが笑いにとって必要な条件でなければならない。笑いは意表に出られた場合ばかりに起きるものではなくて、期待が充たされた場合に寧ろより屡々起きる。吾々は笑い始めると――勝手に、自由に――凡てが可笑しくなるのを知っているが、これは笑いが笑いの種を待ち受けている証拠であって、之に反して悲しみの場合には決してそうではないことは、一寸分析して見ると判るだろう。で笑いは一種のカルキュレーション(計画)、云わば或る意味での科学的予見の上で起きるのである。普通アブサーディティー又はナンセンスを笑いと結び付けて考えるが、今の点から見れば却って、精密な期待に沿うことさえ笑いになると云うことが判る。