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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
14 シェストーフ的現象に就いて
ユーモアが逃避的に用いられれば、その時の文筆活動は戯文の形を取り、それが積極的に用いられれば、批判的言論の形を取る。ユーモアがどういう目的に向かって用いられる必要があるかは、その時代々々の階級的勢力の消長によって決まって来る。我々はこの点を、時代々々の社会意識の代表的な表現であるジャーナリズム現象の歴史を材料として、跡づけることが出来るだろう。近くは徳川末期の落書や狂歌、明治中期のナンセンス寄席、演芸、其の他其の他を思い出すことが出来る。今日のユーモア文学もこういう材料の一つとして取上げられねばならぬのである。
最後に、ユーモアと弁証法的意識との必然的な連関をいつか問題にして見たいと思っている。少なくとも優れた弁証法家の多くは真面目なユーモリストであり、辛辣な皮肉屋であったことが事実であるようだ。
(一九三三・五)
14 シェストーフ的現象に就いて
私はシェストーフの流行にかられてシェストーフを読んだ一人であり、実は又今ここに、この流行にかられてシェストーフを論じる一人である。処が私は、邦語に翻訳されたもの以外のシェストーフを直接に読んでいないのだから、シェストーフその人を論じる資格が充分あるとは考えていない。