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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
ような錯覚(実写的興味と結合したエキゾティシズムともいうべき)を伴うものであるらしい。
映画のこの現実感はスポーツに準じるさっきの単なるリアリティーとは異って、本当のリアリティー、現実世界のリアリティーである。之はごく感覚的な形で現われてはいるが、社会的リアリティーなのである。それであるからスクリーン上の感覚はすぐ様街頭においてそのまま応用されることが出来る。この時、映画の興味の源泉である動作は、もはやただの肉体の運動ではないので、風俗という資格を有って来るのである。風俗、夫は社会的道徳の感覚的な出発点のことだ。電車の内でよろけたり躓いたりしないことが、現代風俗における行儀作法なので、それには多分スマートな行動感覚の教育が必要だろう(茶の湯の席で坐っていてもしびれを切らさない教育が必要であるのと同じ意味において)。映画が社会的リアリティー乃至社会道徳としての風俗から出発するという判り切った事実がこれに他ならない。
処で映画に特有なユーモアがある。話しや活字のテンポを辿っているのでは立ち消えになる種類のユーモアがある。之は今いった社会的リアリティーを想定して、夫とのコントラストを特に動作によって表わしたものに他ならない。