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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

谷川徹三が小林秀雄に対して著しく対比をなして現われる外見は、まず第一に小林に較べてずっと社会的な政治的な又世俗的な関心を持っているという点である。之は年齢のせいでもあるが、一つには谷川が哲学の出身であり、小林が文芸の専門であることに由来する。というのはそれだけ谷川は生活の意識が広く物の判りがいいということにもなる。彼にとっては文学(文芸)が必ずしも生活――「生の哲学」――の凡てではない、文学は生活の一つのあり得べき、併し恐らく最も普遍人間的な一部分であって、事実彼が最も興味を持っているものが文学だからと云って、文学が興味の凡てではない。

文芸と並んで哲学は素より、政治家の生活や実業家の意識にも注意を払うし、陶器や美味求真、ダンス、スキー、アイススケートなど、凡そ色々な意味で趣味と名のつくものに就いても、彼は大胆な又内気な実験家である。彼が自らディレッタントを以て任じるのも(之については後で)、文学主義者から(多分文学上の)シンセリティーがないと云われるのも、ここから出て来る。

この頃屡々問題になっている生活意欲の問題になるのだが、弱々しそうで案外旺盛な彼の生活意欲は、彼の趣味意識に、即ち彼の貴族性に、独特な特色を与えているのである。