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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
だから之亦一つの社会常識なのである。
通念は例の道徳的常識(その一例が社会常識だったのであるが)に於ては、丁度、理論的常識と道徳的常識との対立でのあの理論的常識に相当する。夫は道徳的常識=常識的道徳という既成の与えられた道徳的知識(夫は知識だ!)の平均値に他ならぬ。之は社会的な理論的常識に過ぎないのである。文学が超克せねばならぬと考えているものは、実は道徳的常識そのものではなくて、そうしたものに一括されているものの内の、単に例の第一常識的なもの、平均値的な「道徳的知識」の部分に他ならないのだ。常識というものが通念(通俗的観念―― Gemeinvorstellung)である限りは、文学は一切の常識を超克するのが当然だ。
だが常識、特に道徳的常識、社会常識を、こうした通念としてしか思い浮べ得ないのは、丁度法律家が常識を通念だとして片づけて了うのと同じに、それ自身通俗的な文学的眼光に過ぎないのだ。通念としての道徳としての道徳的常識はコンベンションでステロタイプ的なものだ、だが之を打開する文学はどういうそれ自身の規範を有つか。もし全くそれ自身の道徳的規範を有たないならば、文学はモラルを失って了わざるを得ない。