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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

というのは、ただの直観ならば、つまり一個のケオスに他ならない筈だから、その内容がまだアーティキュレーションを有っていない、節に別けた分析された言葉や文章になっていない筈だ。処がこの常識は正に夫々のテーゼをなしているもののことで、之々は良く、之々は悪い、というような、出来上った判断の単位を意味している。だから之はもはや単なる直観ではなくて、正当に云えば、丁度幾何学にあるような公理、ここでは人間的判断のための公理、だと云わねばならぬのである。であればこそこの常識は、やがて、社会の一定の通念、ドグマに他ならぬ所謂世間の常識という意味を有つわけで、初めて認識の具体的な基準にもなれるわけだ。

処が、ただの直観ではなくて仕上げのかかったテーゼが内的所与として与えられるのだから、それだけ非直観的なものかというと、実は之によって却って益々直観的な性質をこの常識は濃厚にするのである。合理的な根拠なしに一定のテーゼを公理として承認することは、愈々益々直観的能力を必要とするからである。

こうした常識というものの有っている色々の認識理論上の困難を一々ここで指摘する余裕はないが、併し第一にすぐ判ることは、この英国経験論風の常識という概念が、少なくとも十七八世紀に於ける大陸の合理主義と相容れないものだという点だ。