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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

27 ジャーナリズムと哲学との交渉

一

「唯物弁証法は機械論だ」などという無知な言葉の出ないように)。そして結論へ急ぐが、ディアレクティックは必然的に唯物論に帰着する。その証明はドイツ哲学史を見ればいいので、理性的なものは現実的だと云ったヘーゲルの言葉には意味があるのだ。

こうして現代唯物論は、フランス唯物論がそうだったのに似て、恰も今日の啓蒙原理となるのである。そしてこの現代唯物論と離れることの出来ない大衆性なるものの一側面をなすものが、正に之なのである。現代に於ける科学や文学の啓蒙的(又大衆的)な意義は、ここに帰着せねばならぬ。

(一九三五・四)

27 ジャーナリズムと哲学との交渉

一

広い意味に於ける新聞現象、或いは広い意味に於けるジャーナリズムの本質は(之に就いては後に述べようと思うのであるが)、色々と、又色々の側面から、指摘されている。少なくとも日本に於ける大新聞の近代的傾向は、商品としての新聞物を生産販売するという資本主義機構から来る一結果として、その本質が著しくニュース・報道の内に横たわるように見られている。之は疑うことの出来ない事実上の現象であるが、そして夫が又近代的大新聞の何より著しい特色だということも本当だが、併しこの事実上の現象に現われた特色は、実は必ずしも近代大新聞の本質だとは云い切れない。