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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
つまり自分の本業にあまり必然的な必要も連関もなく、また全く無関係でさえあるようなある対象を余技として取り上げるという行為自身が、元来余分でしなくてもよい事柄なのだから、確かに好事家の態度に他ならなかったわけなのだ。初めに本業と余技との間が無関係であればあるほどディレッタントの名に値いするといったのは、つまりディレッタントが好事家であったことを意味していたのだ。
しかしそう考えているだけではまだ好事家としてのディレッタントの特色を満足にはいい現わすことが出来ない。人間の一般的興味に訴えるものを余技として選ぶといったが、実はその場合に二種類あって、一方は、今までいって来たように、文芸の正道において見られるような普遍人間的関心の対象を堂々と選ぶことになるが、他方その一転化として、却って完全なトリビアリズム(瑣末主義)がここに含まれているのである。
元来人間の日常生活はその表面だけから見ればすべてトリビアルなので、トリビアルなものに対する興味こそ、普遍的な興味だとさえ考えていい。だから普遍的な人間的興味の対象が、余技の対象として、やや無責任に取り上げられる結果、それは往々にしてトリビアリズムに陥る理由が大いにあるわけだ。